オレ様化するコンサルタント!?
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本ブログでも、内田樹氏にはまっていることは記述してきましたが、公開した投稿記事、「内田樹氏はやっぱり面白い!」でご紹介した内田樹著「知に働けば蔵が建つ」(文春文庫:2008年11月)
の「希望格差社会」という見出しでのエッセイに掲載されていた諏訪哲二[1]著「オレ様化する子どもたち」(中公新書ラクレ:2005年3月)
を読了。
この本の内容は、結構深刻ですね・・・凶悪犯罪の低年齢化が進んでいるのは、誰でもが認めるところですが、これまでは学校や家庭といった子供を取り巻く環境に対して原因を探ろうという傾向がありましたが、この新書は「子どもそのものが変わってきた・・・」と、あくまでも教育現場の方から子どもを観察している。そういう観点では、これまでは誰も触れたことがなかったのでは!?1980年頃から、いわゆるそれまでの子どもが、「オレ様化」してきたと主張しているんです。
子ども(生徒)のありようが大きく変わった。一言で言えば、主体的・自立的になったとも言えるが、残念ながら教師たちが長いこと望んでいた社会的自立につながるようなものではなかった。(中略)昔の生徒と違ってきた。子ども(生徒)が「オレ様化」しはじめたのである。子ども(生徒)たちが「学ぼうとしなくなり」「自分を変えようとしなくなった」。修業をして一人前のおとなになろうとしなくなった。(p.10)
上記の記述・・・なんと最近の若いコンサルタントにも当てはまる・・・私は、ここ数年のコンサルタントを志望する大学や大学院の卒業する予定の学生の採用を見送ってきました。コンサルタントとして、強い自己主張するのは良いのですが、そういうコンサルタントに限って、「学ぼうとしなくなり」「自分を変えようとしなくなった」と感じるようになってきた!まさに「オレ様化」してきた!?
以前、若いコンサルタントは、いろいろなことを自ら学んでいたような気がします。ベテランコンサルタントが指摘する「問題点」をどうやって解決するかを必死で考え、新たな知識を吸収するために、本当に四苦八苦していたような気がするのですが。最近は、そうした骨太のコンサルタントがいなくなった感じがしていましたから、ちょっと深刻な状況なのかもしれません・・・
脚注:[1]
諏訪哲二(スワテツジ)
1941年千葉県生まれ。「プロ教師の会」代表。東京教育大学文学部卒業。埼玉県立川越女子高校教諭を01年3月に定年退職(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
【追記:2009年01月24日】
内田樹氏のブログでも、本書に関する記述がありますね。投稿記事は、「内田樹の研究室 2006::オレ様化する子どもたち」で、特に以下の一文はメモしとこ!
すべての頁に私は「おおお」と赤鉛筆で線をひいてしまったが、いちばんたいせつと思われる箇所を最後にひとつだけ引用しておく。
私たちは、生活のすみからすみまでお金が入り込んでいる生活を、初めて経験している。朝から夜まで「情報メディア」から情報が入ってくる生活も初めてである。お金がお金を生み出す経済の運動のなかに完全にまきこまれている。子どもたちが早くから「自立」(一人前)の感覚を身につけるのも、そういう経済のサイクルに入り込み、「消費主体」としての確信をもつからであろう。子どもたちは今や経済システムから直接メッセージを受け取っている(教育されている)。学校が「近代」を教えようとして「生活主体」や「労働主体」としての自立を説くまえに、すでに子どもたちは立派な「消費主体」としての自己を確立している。すでに経済的な主体であるのに、学校に入って、教育の「客体」にされることは、子どもたちにとっては、まったく不本意なことであろう。」(p.221 – 222)
子供がこの先幸福に生きて行くためには、「教育の客体」という立場をあえて引き受けて「生活主体」「労働主体」としての自己形成をたどることが不可欠であると考える親たちがいる。そのような親たちの子どもは「学び」に向かうだろう。一方、そのような文化資本を持たない家庭の子どもは「学び」から逃走するだろう。諏訪さんはそう予測している。
親の教養の差、文化力の差、人間についての洞察の深さの差。そのようなものを「前期消費社会」は資産にカウントする習慣がなかったが、私たちが踏み入りつつある「後期消費社会」においては、それが階層分化の決定的なファクターになる可能性があるという諏訪さんの仮説は私にはとても刺激的なものであった。
内田氏も「赤線」を引くんだな・・・って、ちょっと着目点が違うかな。ただ、上記で引用されてい文面は、私も線を引いていたので、ちょっと安心しました(というか、着目点は同じだな、とちょっと感動!)。




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